御神酒『みはしら』奉納事業

イセヒカリ御神酒『みはしら』奉納事業について

『まず神へ捧げる。だからこそ最高を。感謝を籠めて。』 

そんな心で神に何かを捧げることを、私は『奉納』と呼んでいます。

太古の昔から、大地震や火山噴火、台風といった大自然の厳しさと、四季の移ろいを通じた彩りや恵みとともに暮らしてきた私たち日本人のご先祖様たち。

だからこそ日本人は、神に与えられたものによって生かされ、生かしていただいていることを知っていました。

だからこそ、その恐れと感謝が故に、神をまつることを行ってきました。

そして、その恐れと感謝が故に、神をまつる時には、初穂という、その年の最高のものを捧げてきました。

ものを作るようになってからも、その歴史、伝統は続いたことでしょう。

つまり、神に捧げるからこそ、最高のものを作ろう、最高のものを捧げようとする心です。

神に捧げるために、最高の努力をする。

その結果出来たものが、神に捧げられたのちに世に降ろされたらどうなるでしょうか。

神をも魅了せんとするその最高のものは、世をこの上なく豊かにするのではないでしょうか。

近年、誰かを蹴落とすために向けられていたようなエネルギーは、神を喜ばせるために、それぞれの道の追求に注がれることになります。

もしそれが、『今』の社会で起こったら、私達はどれだけの豊かさに包まれることになるでしょうか…。

そんな懐かしい、でも新しい未来の社会、『奉納文化社会』をつくることを、私は密かに夢想しています。

ご神米イセヒカリは、平成の御代の到来に合わせ、それを祝うかのように伊勢のご神田に突然変異で現れ、伊勢の皇大神宮御鎮座二千年の年『イセヒカリ』と名付けられました。

このイセヒカリは、食味も魚沼産コシヒカリに匹敵し、収量も多く株も低くて台風にも強い、未来の日本を担うと言われているご神米。  

神話の時代、天照太御神は孫のニニギノミコトに斎庭の稻穗をお預けになり、日本の未来を委ねられました。

平成の御代に降ろされたこのイセヒカリもまた、新しい時代を迎えるため、現代のニニギノミコトに委ねられたのかも知れません。

ふたたび、日本の未来の礎を築くために…

今回その御神米イセヒカリを使って、平成の御代の終わりが見えてきたこの時節に、御神酒を醸させていただけることになりました。

お米から作るものでも酒を神に献げる事は特に『尊』いこと。

尊という字は、神の目線から作られたように思えます。 まず上半分の、酋(しゅう)。 

酒の入った甕(かめ)の象形文字である酉(とり)の上から出る点々は、醸されたての香り立つ氣。

醸されたてホヤホヤのお酒を表しています。 

酋長とは本来、酒を醸すことを任された責任者であり、それは集落の長の仕事。

それだけ酒を醸す者は『尊』敬されていたのです。 

そして下半分の寸の字は、両手を添えている人の姿。 

つまり『尊』の字があらわす様子は、醸されたての甕から香り立ち昇る酒をうやうやしく献げ持つ人の姿を表しているのです。 

すなわち、 

『醸成(カモナリ)し酒(ササ)を献(ササ)ぐ人は、そしてその姿は、尊い。』 

ということなのです。

神様がうむうむ、とその人、その姿をご覧になっている様子が伝わって来ませんか。 

貴方が御神酒を神様に奉納する姿は、神様にとって尊いものであるのです。

では何故、それが尊いのでしょうか。 

先ほど、敢えて酒を『ササ』と読みましたが、本来ササとも呼んでいました。 

サのつく言葉を挙げていくと、不思議な共通点が見えてきます。 

早苗(サなえ)、皐月(サつき)、早乙女(サおとめ)、五月雨(サみだれ)… 

このように、田植えにまつわる言葉の頭にこのサが付きます。 

さらには皐月の皐の字は、 『神に献げる稻』 の意味があるようです。

サとは、農耕や、神に献げる稻を作ること、そこに宿る穀靈神を指すのだと見えてきます。

さらには、櫻(さくら)。 

日本の象徴でもある富士山。 その神、木花咲耶姫(このはなサクヤひめ)のご神名に見られるように、櫻が木に咲く様子は日本の象徴でもあります。 

そのさくら、サは農耕、稻作の神。クラは座で、磐座(いわくら)のように、神の靈が依られる依り代を指す言葉です。 

つまり稻作の神の依り代になる木が櫻なのです。 

春、稻種を蒔く頃、稻作の神は櫻の木に依られます。 

櫻の花が咲き誇るのは、その証。 

そして、稻穗が稔り収穫される秋までの間ご鎮座なされ、稻穗をお護りくださいます。 

だからこそ、春に櫻を愛でて花見をするのは『饗膳の儀』。 

天に盃を高々と掲げ、感謝の心で神様と契りの盃を交わすのです。 

そうやって、サの神とずっと一緒に暮らしてきたのが日本の歴史でした。

そのサを繰り返すことで強調された酒(ササ)とは、サの神の神氣が宿るお米を、口噛み(カミ)酒、麹カビ(カミ)という、神の力により醸(カモ)されたものであり、

『日本の人達の感謝の心で育て、稻穗に宿った神氣が、神の力で醸され凝縮された雫(しずく)。』 

それを献げるからこそ、お酒を献げることは『尊』いのですね。 

そんな先人と神様との歴史、伝統、文化とともに、國酒、御神酒を神様に献げられるなんて、なんと誇らしく、なんと幸せなことでしょうか。

だからこそ、本来日本でお酒を呑む時は、 「日本の國と子たちの神様に、ますますさかえあれ」 との心を籠めて、こう声をあげるのです。

『彌榮(いやさか)!』

日本全土の神々を支え、日本の未来を支える『みはしら』となるべく、今回の御神酒を『みはしら』と名付けました。

真にそのようになれば、これほどありがたいことはありません。

このたびご縁を賜った神様が、どうぞこの御神酒『みはしら』をこころよく受け取ってくださりますよう。

そしてこの御神酒『みはしら』が、携わり下さる人々とともに、日本の神と人、過去と未来、それをつなぐ歴史、伝統、文化に、そして地球のあまねく地の明るく穏やかな、真に平和な日々の到来を御支えしますことを思って。 

御神酒 『みはしら』奉納事業

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ABOUT ME
代表おおくに
神話の故郷出雲大社から歩いてすぐの杵築の地、母の実家で生を享け、出雲大社を遊び場として育つ。   成人してからも神々を好きな思いが高じて各地の神社を数多く参るなか、縁をいただいて神籬磐座祭祀を司る古神道系特別上級神職資格を平成三十年に取得するに至る。   20年以上連れ添う妻と一人息子を大切にし、旅をこよなく愛する。 曲がったことを「どうなの?」と思う気性も含めてさすらいの英雄スサノヲノミコトの影響かな、たぶん笑。 生まれ故郷の出雲はもちろん、白山や伊勢等の魂の聖地に強く心魅かれる。 また、20代に現地で働いてもいた沖縄も大好きな第2第3の故郷。