日本全土の神々を支え、日本の未来を支える『みはしら』となるべく、この度醸されましたイセヒカリ御神酒『みはしら』を、それぞれ皆様のご縁のある神さまへ御奉納いただく、この御神酒『みはしら』奉納事業。
何も見返りのないこのプロジェクト。身銭を切って御神酒のお初穂料を納め、しかも貴重な時間と労力と交通費を使い、そのまま神さまへ御奉納なさるとは、なんと尊いこころ、そして行いでしょうか。
そう改めて思います。
思えば一昨年前の秋、思いがけず尊い御神米イセヒカリの種を賜ったことから今回の物語は始まりました。
今回、御神酒『みはしら』となった2俵のイセヒカリ米。その親種となる稲穂を手にした瞬間の感動は、忘れることが出来ません。
手にした稲穂から、今まで感じたことのない『神々しい何か』が伝わってきて、言葉を失いました。
そして次の瞬間、いつかこれを御神酒にして神さまに献げたい。それが神の恩に報いることなんじゃないか。
そんな、使命感に似た想いが心に浮かんでいました。
イセヒカリといえば、伊勢の神宮の御神田があり日本三大御田植祭の地、志摩の伊雜宮(いざわのみや)が思い浮かびます。
何故ならこの年、その伊雜宮の御田植祭の中心的な神事『竹取神事』に奉仕する、田男を務めさせていただいたからでした。
そしてまた神宮崇敬会を通じて、祭りに植え残った部分の御田植え奉仕をさせていただき、その苗こそがイセヒカリだと伺っていたのでした。
ひょっとすると今回のお話は、そこからもう始まっていたのかも知れません。
時あたかも平成の御代が幕を閉じる事が発表されて間もなくのこと。
イセヒカリは、平成の御代の訪れを祝うように、平成元年伊勢の神宮神田に突如現れた平成の「斎庭の稲穂」。
平成の締めくくりに、そして新しい世の到来のための力となるような、そんな御神酒を醸して神さまへ献げたいと思ったのでした。
しかし、前回三年前のイセヒカリ御神酒『國靈(くにたま)』で使用した田んぼは使えず、田んぼを探す所、ただ尊い御神米イセヒカリの種のみという所から始まりました。
そんな中、仲間に相談しました。
すると、彼が所有し貸していた田んぼが使えることになりました。
そこは天照太御神、天御中主神、そして月讀尊を御祭神とし、全國でも珍しい、大日孁貴(おおひるめのむち=天照太御神)社という名のお宮の、目の前に広がる田んぼでした。
が、仲間は皆ほぼ田んぼ、米づくりが未経験。
ベテラン農家さんの助言とお力を借りながら、それでも手探りで、ただただ心を籠めて、手を掛けて、進めていくしかありませんでした。
酉は、酒の入った甕壺を表します。
酉歳に本役(厄)を迎える私にとって、酉=酒造りは私が果たすべき本来の役割、すなわち本役といえるのではないかと思いました。
そのお役を果たす肚、覚悟をお伝えするため、種籾を懐に抱き、旧正月に合わせて故郷出雲大社に帰りました。
そして、そこでのお祭のお役を御奉仕すると、お下がりに御神酒を賜わりました。
その御神酒は、伊雜宮に御奉納いたしました。
何故なら伊雜宮の地に残る伝承では、この地にかつて杵築宮(出雲大社は古来、杵築大社と呼ばれていました)があり、そこの千田という田んぼがありました。
根本は1つで千の穂を稔らせた靈穂を咥えた真名鶴がそこにいたことに感動した倭姫命が、神宮の天照太御神にその稲穂を架けて懸税(かけちから)とし、御神酒を造り、御神前に献げられたことが、神宮の神嘗祭の由来と言われています。
早春の鍬入れ祭
とりわけこの年が、泰澄大師による開山1300年であった白山。
福井の平泉寺白山神社には、1300年前にその白山の大神さまが泰澄大師の前に影向され、頂上登拝を促された平泉(平清水)があります。
種籾を持って稲作のご挨拶のお参りに行くと、思いがけずお祓いをして下さりました。
また、お許しを得てその平泉の水を汲み帰り、種の芽吹きの水とさせていただきました。
種播き祭
春。白山の御神水の御稜威(みいつ)を戴き、イセヒカリの種は立派な早苗へと生長していきました。
出雲大社に大祭、大祭礼に際し再び戻り、お田植え前に改めてその御奉告申し上げました。
そしてお田植え祭。
このように、田んぼのそれぞれの過程においてお祭り、神事を執り行い、神さまへの感謝と奉告をしながら進めていきました。
その後、艮の金神と称した神が降りた出口家の末裔、出口光さんから御招きを受け、亀岡の出口王仁三郎氏の居地に前泊し、
翌日北上し、丹後元伊勢籠神社を参拝。天の真名井の清水をお頒けいただき、持ち帰り田んぼに注ぎ入れました。
そして今年度も伊雜宮御田植祭の竹取神事に奉仕。
忌竹とゴンバ団扇に寄られた御神氣に、私達の田んぼにも御寄りいただきました。
そして夏。
奥宮大祭に合わせて登拝させていただいた折には、宮司さまに改めて平泉の汲む許可を得、白山からの水を山頂にお返しする「お水返し」という昔ながらの信仰そのままに、平泉寺白山神社の大祭時刻に合わせ、影向の清水を山頂にお返ししたのでした。
そして、そのお下がりの水を用いて阿波忌部の藍で造られた御神藍墨を摩り、山頂室堂山荘にて書かせていただいたのが、「伊勢光 みはしら 純米大吟醸」という今回の御神酒の題字でした。
白山山頂は、まさに高天原でありました。
お水返しのお下がりの水も、田んぼへ。
すべて手植えのお田植え、いつ終わりが来るか知れない膨大な量の草抜き。
ただ、農薬があっては決して生きられない生き物が住んでくれていました。
米の花。初めて知りました。
稲刈りの拔穗祭が無事に遂げられますよう、和暦の水無月晦日には、白山の麓の石徹白の地で身を清め、その御神前にて夏越しの大祓をさせていただきました。
またこの白山から流れる宮川の水もまた、田んぼへと注がせていただいたのでした。
夏は日照不足と言われましたが、無事に稔りの秋を迎えようとしていました。
そして秋、刈り入れの前日には列島を切り裂くような巨大台風。
それらを無事に乗り越え、台風一過の快晴の下、参列の美しい少女による巫女舞などが奉納され、たわわに稔ってくれた稲穂、お初穂を有り難く刈り入れる拔穗祭を齋行する事が出来ました。
童男童女の手で刈られたお初穂は、神嘗祭の当日、彼自身の手で内宮に奉納されました。
祭典後は、2日間に渡って手刈りにて刈り入れ、陽が落ちて辺りが真っ暗になるまで、天日に干す稲架(はざ)掛けをしました。
そのようにして稔ったイセヒカリ米は、等級検査をなんと見事一等で合格しました。
仲間たちのこの一年の努力と、協力して下さった皆様のお蔭で、粒揃いの素晴らしいイセヒカリ米が出来たのでした。
見事に稔ったイセヒカリのお初穂の束、懸税(かけちから)は、日本中の秋祭りの原点、伊勢の神宮の神嘗祭へ。
その初日には初穂曳きの御奉仕をして外宮さまへお運びし、その懸税を私自身の手で納めさせていただきました。
更に、最終日となる伊雜宮の神嘗祭には光栄にもご招待を受け、参列させていただきました。
しかもその伊雜宮の神嘗祭において、私達のイセヒカリのお初穂の束、懸税は、神宮創建の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)、神嘗祭の始まりとなった真名鶴の伝説のままに、なんと本殿玉垣に懸けられたのでした。
懸税は平泉寺白山神社へも御奉納し、感謝の声をいただきました。
また、関東から拔穗祭にご参列下さった方が、江戸名所図会には伊雜大神宮として登場した、東京八丁堀の天祖神社へも私の代わりに懸税を御奉納下さいました。
懸税を御奉納に故郷出雲大社へ発つ前日、田んぼの仲間とともに志摩の伊雜宮へお参りすると、たまたま黒田清子神宮祭主をお迎えさせていただけることになりました。
生まれて初めての御参拝で、しかも地元の方々しか伝わっていなかったのだそうで、わずか30人ほどの地元の方々とともに奉迎させていただくことが出来たのでした。
そして故郷出雲大社の三大祭のひとつ、一般では参列出来ない献穀祭へも出雲イセヒカリ会さまに参列するご縁を頂きました。
そしてイセヒカリの懸税や玄米を御奉納、さらにはなんと、献米者代表として玉串奉奠する機会を頂きました。
参列後、日本一の日の丸を撮影していると、祭典直後の千家國造が目の前をお通りになりました。参列させていただきました感謝を、お伝えさせていただきました。
祭典終了時、神職さまにお聞きした拝観券のお話によれば、この日が出雲大社の地中から発見された『心御柱(しんのみはしら)』が出雲大社の境内、神祜殿に十数年ぶりに帰ってきて、公開となる初日だということでした。
故郷大社への御奉納を経てふと、この日本國土に東西南北に大きな十字を描いたかのように、今回お育てしたイセヒカリの懸税は納められたのだなあ、と思い浮かびました。神さまからは、その十字形はたわわに稔った稲穂のごとく、黄金色に輝いて見えたのだとしたら、とても夢があるなと思いました。
その夜、出雲大社拝殿で参列した古傳神嘗祭は、浄暗の中、まことに荘厳なものでありました。
その10日あまり後には、イセヒカリ発現の初期から今日まで原種の管理を担ってこられた山口の吉松先生が神宮から表彰される席に、そして外宮の参拝に偶然ご一緒させていただくことになりました。
そこにまた、『みはしら』に感じていたイセヒカリ、平成の世の集大成を一層思いました。
このように、私達がお育てしたイセヒカリの懸税は、いずれの神さまからもこころよく迎えていただいたと感じています。
そしてイセヒカリの種籾を取った後の藁で、伊勢地方に古くから伝わる伊勢七五三縄を手造りしてみました。
年が明け、雪の平泉寺白山神社さまの平泉にて「寒の水」をお頒けいただくと、その水は酒蔵の杜氏さん達の手により酒造りの前にイセヒカリ米を洗うのに使っていただきました。
そして、神々さまへの収穫の感謝の御奉納を終え、列島を襲った記録的な大雪の直後、いよいよ酒造りに最も適した時期とされる大寒、そのイセヒカリ米は仕込まれました。
担当の杜氏さんも、浪漫酒創庫あつみの渡会社長から今回このイセヒカリで醸すのが、ただのお酒ではないことをお聞きになっていて、「心を籠めて醸します」との言葉をいただきました。
発酵途中においても、杜氏さんが不思議な現象と語る泡なし酵母で高泡が立つという現象が起きました。
これは発酵が見事に進んでいるということで、同じタイミングで仕込んだイセヒカリ米とは比べ物にならない程の美味しさに仕上がったのでした。
こうして、その1つ1つを切り取っても通常は起こり得ないような、そんないくつもの奇蹟に見守られ、導かれながら、御神酒『みはしら』は、この世に《御生れ(みあれ)》したのでありました。
平成の世の締めくくり、そして新しい世の訪れを祝うかのように。
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『まず神へ捧げる。だからこそ最高を。感謝を籠めて。』
そんな心で神に何かを捧げることを、私は『奉納』と呼んでいます。
太古の昔から、大地震や火山噴火、台風といった大自然の厳しさと、四季の移ろいを通じた彩りや恵みとともに暮らしてきた私たち日本人のご先祖様たち。
だからこそ日本人は、神に与えられたものによって生かされ、生かしていただいていることを知っていました。
だからこそ、その恐れと感謝が故に、神をまつることを行ってきました。
そして、その恐れと感謝が故に、神をまつる時には、初穂という、その年の最高のものを捧げてきました。
ものを作るようになってからも、その歴史、伝統は続いたことでしょう。
つまり、神に捧げるからこそ、最高のものを作ろう、最高のものを捧げようとする心です。
神に捧げるために、最高の努力をする。
その結果出来たものが、神に捧げられたのちに世に降ろされたらどうなるでしょうか。
神をも魅了せんとするその最高のものは、世をこの上なく豊かにするのではないでしょうか。
近年、誰かを蹴落とすために向けられていたようなエネルギーは、神を喜ばせるために、それぞれの道の追求に注がれることになります。
もしそれが、『今』の社会で起こったら、私達はどれだけの豊かさに包まれることになるでしょうか…。
そんな懐かしい、でも新しい未来の社会、『奉納文化社会』をつくることを、私は密かに夢想しています。
ご神米イセヒカリは、平成の御代の到来に合わせ、それを祝うかのように伊勢のご神田に突然変異で現れ、伊勢の皇大神宮御鎮座二千年の年『イセヒカリ』と名付けられました。
このイセヒカリは、食味も魚沼産コシヒカリに匹敵し、収量も多く株も低くて台風にも強い、未来の日本を担うと言われているご神米。
神話の時代、天照太御神は孫のニニギノミコトに斎庭の稻穗をお預けになり、日本の未来を委ねられました。
平成の御代に降ろされたこのイセヒカリもまた、新しい時代を迎えるため、現代のニニギノミコトに委ねられたのかも知れません。
ふたたび、日本の未来の礎を築くために…
今回その御神米イセヒカリを使って、平成の御代の終わりが見えてきたこの時節に、御神酒を醸させていただけることになりました。
お米から作るものでも酒を神に献げる事は特に『尊』いこと。
尊という字は、神の目線から作られたように思えます。 まず上半分の、酋(しゅう)。
酒の入った甕(かめ)の象形文字である酉(とり)の上から出る点々は、醸されたての香り立つ氣。
醸されたてホヤホヤのお酒を表しています。
酋長とは本来、酒を醸すことを任された責任者であり、それは集落の長の仕事。
それだけ酒を醸す者は『尊』敬されていたのです。
そして下半分の寸の字は、両手を添えている人の姿。
つまり『尊』の字があらわす様子は、醸されたての甕から香り立ち昇る酒をうやうやしく献げ持つ人の姿を表しているのです。
すなわち、
『醸成(カモナリ)し酒(ササ)を献(ササ)ぐ人は、そしてその姿は、尊い。』
ということなのです。
神様がうむうむ、とその人、その姿をご覧になっている様子が伝わって来ませんか。
貴方が御神酒を神様に奉納する姿は、神様にとって尊いものであるのです。
では何故、それが尊いのでしょうか。
先ほど、敢えて酒を『ササ』と読みましたが、本来ササとも呼んでいました。
サのつく言葉を挙げていくと、不思議な共通点が見えてきます。
早苗(サなえ)、皐月(サつき)、早乙女(サおとめ)、五月雨(サみだれ)…
このように、田植えにまつわる言葉の頭にこのサが付きます。
さらには皐月の皐の字は、 『神に献げる稻』 の意味があるようです。
サとは、農耕や、神に献げる稻を作ること、そこに宿る穀靈神を指すのだと見えてきます。
さらには、櫻(さくら)。
日本の象徴でもある富士山。 その神、木花咲耶姫(このはなサクヤひめ)のご神名に見られるように、櫻が木に咲く様子は日本の象徴でもあります。
そのさくら、サは農耕、稻作の神。クラは座で、磐座(いわくら)のように、神の靈が依られる依り代を指す言葉です。
つまり稻作の神の依り代になる木が櫻なのです。
春、稻種を蒔く頃、稻作の神は櫻の木に依られます。
櫻の花が咲き誇るのは、その証。
そして、稻穗が稔り収穫される秋までの間ご鎮座なされ、稻穗をお護りくださいます。
だからこそ、春に櫻を愛でて花見をするのは『饗膳の儀』。
天に盃を高々と掲げ、感謝の心で神様と契りの盃を交わすのです。
そうやって、サの神とずっと一緒に暮らしてきたのが日本の歴史でした。
そのサを繰り返すことで強調された酒(ササ)とは、サの神の神氣が宿るお米を、口噛み(カミ)酒、麹カビ(カミ)という、神の力により醸(カモ)されたものであり、
『日本の人達の感謝の心で育て、稻穗に宿った神氣が、神の力で醸され凝縮された雫(しずく)。』
それを献げるからこそ、お酒を献げることは『尊』いのですね。
そんな先人と神様との歴史、伝統、文化とともに、國酒、御神酒を神様に献げられるなんて、なんと誇らしく、なんと幸せなことでしょうか。
だからこそ、本来日本でお酒を呑む時は、 「日本の國と子たちの神様に、ますますさかえあれ」 との心を籠めて、こう声をあげるのです。
『彌榮(いやさか)!』
日本全土の神々を支え、日本の未来を支える『みはしら』となるべく、今回の御神酒を『みはしら』と名付けました。
真にそのようになれば、これほどありがたいことはありません。
このたびご縁を賜った神様が、どうぞこの御神酒『みはしら』をこころよく受け取ってくださりますよう。
そしてこの御神酒『みはしら』が、携わり下さる人々とともに、日本の神と人、過去と未来、それをつなぐ歴史、伝統、文化に、そして地球のあまねく地の明るく穏やかな、真に平和な日々の到来を御支えしますことを思って。
御神酒 『みはしら』奉納事業
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