『大神樣、ついに國靈を御奉納することが出来ました。愛(め)ぐしうむがしとお受けいただきますよう、畏み畏みも申し上げます。』
神主様により導かれた御垣内。
思いを籠めた玉串が大神樣坐します本殿前に届けられたとき、よろこびの余り目に浮かぶものがありました…。
御神酒 國靈(くにたま)奉納プロジェクトもいよいよクライマックス。我が産土の神、出雲大社への奉納の時が来ました。
大遷宮の奉幣祭以来の帰郷となったおとといは、お迎えはやはり前回同様雷鳴轟かんばかりの御歓迎をいただきました。
それが雲を吹き払ってくれたかのように、今日は朝から美しい青空に見守られた奉納となりました。
伊勢では夫婦岩の二見が浦での禊ぎを終えてからが本来の正式な参拝であるように、出雲においては國譲り神話の舞台「稲佐の浜」での禊ぎを行うのが本来の正式な参拝でした。
いまでは竹筒に汲んだ水を笹の葉で足元に撒き、禊ぎの代わりとする「潮汲み」という形で地元にそれが残っています。
この潮汲みを前回の奉幣祭の朝と同様友人にお願いし、正式な形での禊ぎ祓いをすることが出来ました。
今回は大社中学卒業時の三年五組の同級生に声をかけ、潮汲みの準備をしてくれた友人を含め五人での奉納となりました。
潮汲みに合わせ、大祓詞(おおはらえのことば)を稲佐の浜に向けて奏上させていただきました。
あの世の御靈とともにある8月15日に幽世(かくりよ)を統べる出雲の大神の地において、大祓すなわち日本の國全体、地球(くにたま)全体の祓いをするというのは特別の意味を持つように感じました。
潮汲みを終えて、大社さん(地元ではこう呼びます)へ。
改めて手水で清め、
まずは拝殿にて参拝いたしました。
そして仮拝殿において國靈を、神恩感謝の思いを託した巫女さんの神樂舞とともに、奉納させていただきました。
すると、受付を担当された神主様はなんと我々の同学年、同じ大社中学卒業生でした。
実はいろいろな予定外のため、事前に大社さんに電話でお知らせしていた時間とはかなりずれていました。
でもそのことで逆にこのようなご縁があったわけで、一同なんとも言えない大神樣のお導きを感じざるを得ませんでした。
そしてこの國靈を、昨秋ご結婚なされた出雲大社権宮司千家国麿様典子様ご夫妻にお届けいただけますよう、神主様にお願いいたしました。
斎主をおつとめくださったベテランの神主様はとても丁寧に参拝作法を教えてくださり、我が祖先もこうして大社さんで神主をつとめていたのだと思うと、とても感慨深いものがありました。
國靈、神樂奉納を終え、また別の神主様に導かれ、いよいよ八足門の奥、御垣内の大神樣の楼門前での正式参拝をさせていただきました。
代表として玉串を受け取り、思いを籠め、八足案に納めて二拝四柏手一拝。
『大神樣、ついに國靈を御奉納することが出来ました。愛(め)ぐしうむがしとお受けいただきますよう、畏み畏みも申し上げます。』
そう思いを籠めた玉串は、神主様により大神樣坐します本殿前に届けられました。
そのとき、二度と帰って来れないだろうと大社の地を出ることになった20年前のことやこれまでの様々なことが思い出され、その上でこうしてここに立てたことに胸にこみ上げるよろこびの余り、目に浮かんで来るものがありました。
20年前、追い出されるようにこの地を離れたあの時、こんな日が訪れるとは思うはずもありませんでした。
それも、僕の栄光の日々であった三-五の仲間達と一緒でした。
今日は8月15日。
8=3+5
15=3×5
そして今回同行してくれた友人達とともに過ごしたクラスは、3-5。
三五と書いて「あなない」とも訓みます。
あなないとは「助い」と字をあてるごとく、助けるという意味を持ちます。
大神樣の、わずかなりとも助けとなれるよう誓うのが、クライマックスとしての今日の國靈の奉納でありました。
また三五の「あなない」とは、古語としてある偉大な神を示す言葉でもありました。
日本全國に散らばり納められた百余数の『國靈』。
それらが今日から始まる大神樣とともに築く輝ける未来への「あなない」の碑となることを思って。
そして、うむうむ可愛いヤツだ、喜ばしいことだとこれまでも、これからも見守ってくださる大神樣のご恩へ、限りない感謝をここに納め置きたいと思います。
そしてそして実は、これで終わりにはなりませんでした。
ある場所へ、思ってもいなかった場所へ、國靈を納める機会が突如現れました。
まだご奉納の済んでおられなかった方の國靈をなんとかお譲りいただき、手配も出来ました。
自身で納める場所としては、それが本当の最後となるでしょう。
故郷大社の地に錦を飾ることが出来たご褒美として、そのご奉納を謹んでご奉仕させていただくつもりです。
あともう少しだけ、お付き合いください。