御神酒國靈(くにたま)奉納プロジェクト

戦後50年に開封されたワイン

『御神酒 國靈』づくりにご尽力くださった、愛知県岡崎市の酒屋「浪漫酒創庫あつみ」の渡会隆広社長。

以前にも触れましたが、これまでに酒に関して様々な活動をして来られました。

その中の資料の一つを見せていただいたので、文字にしたものと合わせてご紹介いたします。

ヤルタ会談記念ワイン(1945年クリミア産)
※この記念ワインは、マサンドラコレクションの中から平和への証として、特別に日本へ限定出荷されたものです。

第二次世界大戦末期、連合国側の勝利が決定的になった1945年2月4日から11日までクリミア半島ヤルタ市において、ソ連スターリン首相、米ルーズベルト大統領、英チャーチル首相の連合国側の首脳が会談し、戦争の完遂方針、戦後世界の秩序、国際連合の創設方針などを決定しました。

その中には最終日2月11日に署名されたソ連の対日参戦に関する条件も含まれております。この連合国側条件の中に、「歯舞、色丹、国後、択捉は含まれていなかった」と日本が主張し続け、日露間の問題になっている北方領土の原点もこの条件の中の千島(クリル)列島のソ連邦への引き渡しの約束にあります。

この会談に参加した各国代表の多くが会談の合間にマサンドラを訪問しており、当社には今もその時の訪問者のサインが残されております。

そこで、1945年戦争終結直後に実りの秋を迎えたとき、マサンドラはクリミアのワインの中から最優良品を選んでヤルタ会談記念ワインを造りました。特に会談に参加したアメリカ、イギリス向けには英語の表示がなされており、50年間保存、1995年解禁と指定が行われております。

その後、世界史が大きく転換し、ヤルタで約定された世界地図が激変しつつあることは周知の通りであります。このワインがボトリングされた頃、誰が今日の世界を予想し得たでしょうか。そして世界地図を書き換えた1945年、その「歴史の生き証人」とまでいわれる、幻のヤルタ会談記念ワインがここにあります。この記念ワインは、当時の興奮と感動が形になって残った記憶です。

1989年11月9日、ベルリンの壁が壊され、ブランデンブルグの門が開かれました。平和が時を刻み始めた記念に、米英両国向けに保存中のヤルタ会談記念ワインを日本の皆様に限定販売することと致しました。

終戦の年に誕生した、ヤルタ会談記念ワインが、いつまでも世界の平和を見守り続けてくれることを願ってやみません。

(PS.今回は特別にウクライナ共和国ならびにヤルタ市の原産地証明書と輸出証明書、それに当時のチャーチル首相のサインを添えてお届けします)

なお、さらにその時の様子を収めたニュース動画なども紹介されたブログがありましたのでご紹介いたします。

ヤルタ会談記念ワイン
http://vineyazai.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html?m=1

ABOUT ME
代表おおくに
神話の故郷出雲大社から歩いてすぐの杵築の地、母の実家で生を享け、出雲大社を遊び場として育つ。   成人してからも神々を好きな思いが高じて各地の神社を数多く参るなか、縁をいただいて神籬磐座祭祀を司る古神道系特別上級神職資格を平成三十年に取得するに至る。   20年以上連れ添う妻と一人息子を大切にし、旅をこよなく愛する。 曲がったことを「どうなの?」と思う気性も含めてさすらいの英雄スサノヲノミコトの影響かな、たぶん笑。 生まれ故郷の出雲はもちろん、白山や伊勢等の魂の聖地に強く心魅かれる。 また、20代に現地で働いてもいた沖縄も大好きな第2第3の故郷。