伊雜宮の御田植祭において、どうしてもやらないといけないと思っていた事がありました。
それは、『型を興す』こと。
出口なお開祖によって明治に興った教派系神道「大本」の特徴のひとつに、『型の大本』がありました。
型の大本とは、【大本で起きたこと(型)は世界に伝播して、やがて社会や國、世界全体で起きることになる】というもの。
私は大本の人間ではありませんが、世界の理想をまず自分の日常、特に神前に興し、世への影響を期すという、この『型を興す』ことを意識してきました。
一昨年の外宮の遷御の儀が終わり、御垣内参拝が再開された日の朝一番。
新宮最初の御垣内参拝者として、家族三人でお参りさせていただきました。
日本で最も尊く大切なお宮が、新しく迎える20年。
それを創るに、須佐之男命の神紋「五木瓜」の黒紋付に袴という日本の伝統の和装の者が、最初に神前に参る。しかも家族三人睦まじく。という型は、世に様々な影響をじんわりもたらすと考え、参りました。
そして今回、伊雜宮の御田植祭。
伊雜宮において、御垣内での参拝が叶うのは一年のうちこの御田植祭での神樂または御饌奉納の時だけ。
すなわち昨年11月に遷御を終えた伊雜宮での御垣内参拝は、この日が初めてでした。
そして今回も伊雜宮新宮の最初に御垣内に参る型を興すため、そして今回はそれに加え、『まず神へ、だから最高を』という神恩感謝の心の証し、行いの型としての御神酒『國靈』の奉納も加わるとても重要なことと考え、このことは誰にも口にはしませんでした。
そして11ヶ月先には、世界の行く末を握るであろう大変重要な伊㔟志摩サミットが、この志摩國賢島で開催されます。
さらにこの前日、そのサミット開催日が奇しくも不惑を迎える私の誕生日、5月26日からの二日間に決定されました。
様々なことを象徴する型として、朝一番に神樂奉納を申し込み、伊雜宮に坐します天照太御神樣へ國靈を奉納申し上げました。
國靈が献げられている姿は、感慨ひとしおでした。
伊雜宮の御垣内は、外内宮と違いとてもコンパクトです。
ですので、先日に内宮にて中重鳥居より内での参拝を初めて拝見しましたが、伊雜宮の御垣内での参拝は、それに匹敵すると感じます。
いやその中でも、秋篠宮佳子内親王殿下など皇族方の参拝なされる、内玉垣南御門前にまで詣でさせていただいているような、奇跡的なことなのかも知れません。
祝詞の中においても、國家安泰のねぎごととともに住所名前が最初に読み上げられまた感慨ひとしおでありました。
さらに外内宮では、ご正宮とは別の神樂殿にて奉納される神樂。
それがご神前、ご正宮御垣内、麗らかに神樂舞う巫女さんの袖によりそよぐ風さえ届くほどの場にて、雅樂の雅やかな音色も目の前より伝わるという奇跡のひとときでした。
二見浦での禊神事、そして前日の畏れおののくほどの禊ぎ雨を経てもなお、身も心も洗われるご神前、お神樂奉納でした。
そしてこの素晴らしい20年を創る型を興す責務を果たせたのではないか、そう感じました。
そしてあの御田植祭は皆様がやり遂げてくださるということで、今回はゴンバ団扇にご挨拶だけをして、一年にこの日だけ叶う、伊㔟参宮全ての御垣内参拝に向け、伊㔟に戻りました。