御神酒國靈(くにたま)奉納プロジェクト

【陰から日本の國と子達を守る存在。艮ヶ崎の神へのご報告(後編)】

東北の最終目的地、國靈奉納の神事を執り行なった地は、艮ヶ崎のある重茂半島の最高峰。

(山頂より見上げた天照太御神樣)

事前に入山許可を書類で申請し、当日は下の入り口で電話を入れてから、見張りの方達と一緒にオフロードの山道を車で砂煙を舞い上げながら登っていきました。

艮ヶ崎から日の出る真東を向いたとき真後ろに聳える『十二神山』の山頂でした。

艮ヶ崎からの帰り途の参道で拾った松の枝を神籬(ヒモロギ)にしてみました。

(松は國常立尊の依り代と言われる)

この十二神山の名前の由来の様々な説に、「十二神将」があるようです。
十二神将を調べると、安倍清明公が式神として使役されたとありました。
しかしWikipediaなどで見ると、仏教神にしか思えません。
十二神将とは、どんな存在だったのでしょうか?

そこで京都の綾部大本への國靈奉納をお導き下さった安倍晴明末裔、安倍秋成宮司にお聞きしました。

そのお答えがこちらです。

以下引用。
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松浦さま

ご奉納のプロジェクト、本当にご苦労様で御座いました。
しかもこれまたご縁のあるところに行かれたのですね。

さすが鋭い、松浦さんのご質問です。

晴明さまの使役しておられた式神の元々の名は十二将神でした。十二神将ではなく将神、この読み方ショウシンはいつしか将が漢字で当てられるようになりましたが元々は陰陽道では、星をしょうと読みますから十二星神が正しいことになります。

私たちの一番身近ところでは1年、1月〜12月にも当てられますが、干支の十二支にも相当し、これらは季節や方位、五行などなど12種類に当てはめられます。

十二分にとか十二単などと同じ意味合いで諸々のという意味があり晴明さまは方位や自然をも使役するほどの味方に付けておられたということがこの意味の中に隠されて居ります。

十二神将が晴明さまの式神であったという伝説は晴明公の没後に当時の僧侶が偉業を讃えて知られた逸話集に残されておりまして、僧侶さんは十二星神をいつしか十二神将になさったのだと思います。

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引用以上。

実は十二神山にこの仏神の十二神将は、相応しくないと感じていたのです。

『十二神神社』というのがこの敷地内にあるのですが、この辺りは全て自衛隊基地内で、特に神社のある所は立ち入り禁止。

しかし実は今回入れていただいた三角点のある頂上、おまつりをした場所こそが本来、神社があった場所だとは、帰ってから知りました。

ひょっとすると昭和30年に米軍基地となって以降、この頂上では65年振り、いや戦時中は祭祀もままならなかったかも知れません。

それなら今回の神事は、もっと期間が空いての神まつりだったのかも知れません。

地元に伝わる説では、十二神神社を十二神将をまつった神社だとしてあり、東北のいつもながらに坂上田村麻呂伝承と絡めたものになっていました。

ただ、その中でも十二神将をまつった場所は全國に他にないそうで、仏で隠すにしても別格として扱われたのだと感じました。

十二星神は、非常に感じる所があります。
かなりの星信仰を、東北の旅で感じたからです。

昨秋艮ヶ崎を訪れた写真を見て、興味深い感想を寄せて下さった方がいました。

この方がおっしゃるように、艮ヶ崎の真後ろの松の森、山を撮った写真の『隠れているとても強い力の靈』が國常立尊なのだとすれば、この真後ろに頂上のある山こそ、十二神山なのです。

しかも面白く不思議なことに、この地も伊㔟外宮と同じ「山田」と言います。

(航空自衛隊山田分屯地第37警戒隊エンブレム)

十二星神とは、満天の星を神に見立てたのでしょう。

そしてその中心に坐すは、北極星。
それは世界の創造の中心、天御中主神、國常立尊。

その地が、伊㔟外宮の地と同じ「山田」と呼ばれる不思議。

十二星によって方角も表した方位神『金神』でもあると考えられるなら、京の都より見て北から45°というまさに東北、『艮=丑寅(ウシトラ)』にと、『艮の金神』として伝承通りにこの地に坐す不思議。

この地には、獅子舞ならぬ虎(トラ)舞が伝承されていました。

國常立尊の伝承される元外宮真名井神社でその象徴として用いられる藤

荒布をつくる藤の繊維で脛(はぎ)に佩く『脛巾(ハバキ)』を作っていたこの地の風習は、東北を中心に伝えられる古代神『アラハバキ神』を思わせます。

そして十二神山の山頂にあった池には手長明神、手長足長がいたという伝承は、國津神の眷属神『土蜘蛛』を思わせます。

さらに荒脛巾(アラハバキ)、そして手長足長の土蜘蛛は、最後まで天孫族に抗ったまつろわぬ東日本、蝦夷の長『長髄彦』を思わせます。

この池の他の伝承として、龍が棲んでいた。というものがあります。艮ヶ崎の写真に國常立尊を感じたその方は、夢で白い蛇つれられてこの地に来たとのこと。それはこの龍だったのでしょうか。であれば、その白い龍は何者なのでしょうか。

そして『十二神』は、古事記の倭建命の東征の件に出てくる『東方の十二道の荒ぶる神』を思わせます。

この十二道の最東北端がこの地「陸奥」であったのは、偶然でしょうか。

倭建命は、草薙の神劔、八重垣劔を持って目的地として『ここに』来たのではないでしょうか。

草薙の神劔、八重垣劔に宿るのは倭大國魂神だと言われます。それは、國常立尊ではないでしょうか。

これから天孫の末裔が東日本を含め治めさせていただくという、ご挨拶の神事のためだったのではないでしょうか。

面白いことに、ホツマツタヱという古伝には、このような記述があります。

「あめとみは やゑかきもちて
(天富は 八重垣持ちて)」
「ほしのつかひは あめとみと
(星の使いは 天富(アメトミ)と)」

八重垣劔を持つ役目のアメトミは、星の使いである、と。

悲しい哉日本においてこの2〜3千年、公には星の神、星の信仰は封じられてきました。

しかし、北極星神、天御中主神、國常立尊は、太陽神をサポートし、守る存在でした。

その北極星神、國常立尊ゆかりのこの地にご縁ある八重垣劔、そして現代においては自衛隊レーダー基地。

八重垣とは汚穢・仇を大切なものに近寄らせないための、また民に罪を犯させないための幾重もの防御という意味であり、攻撃の為の劔ではなく防御・抑止の為の劔。

頂上三角点まで案内して下さった自衛官の方。

「いつも日本の國と我々國民を守って下さってありがとうございます」

こう伝えると、驚いた顔をされました。

その時、平時に肯定的な言葉を一般の人から受けられることはほとんどないんだなあ、と実感しました。

そして目に生氣が宿り、こうおっしゃいました。

「そう言っていただける方が一人でもいらっしゃる限り、我々は頑張れます。」

この地にご縁あるすべてが

『大切なもの、日本の國と人(國と子達=クニトコタチ)を陰から守る』

という点で共通すると感じるのは、私だけでしょうか。

この地の神に國靈を奉納出来て、とても有り難く感じています。

そしてそのまま自宅へ持ち帰り、直会としてその國靈を口に出来、何とも有り難い誕生日となりました。

そして先程ご紹介したホツマツタヱには、次のような記述もありました。

「つるきとみ つきほろふれは
(剣臣 継ぎ滅ぶれば)
ものふわれ よおうははるる
(武士(ものふ)破れ 世を奪わるる)」

東北の星の信仰の末裔安倍総理がいま、現代の八重垣劔である自衛隊の働きを正しく機能させようと腐心されていることを、この地にゆかりあったもの達は象徴していると感じます。

伊㔟志摩サミットが無事迎えられるよう、はやく八重垣劔の働きで國を守ることがとても、とても大切だと感じます。

最後に、いまの安倍総理のお氣持ちを勝手ながら邪推し、それを表す神の歌をご紹介します。

『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣つくる その八重垣を』

八重垣劔が、國を守る神が、そのお力を発揮出来る助けとして。

日本のすべてが三分の一にならないように。

ABOUT ME
代表おおくに
神話の故郷出雲大社から歩いてすぐの杵築の地、母の実家で生を享け、出雲大社を遊び場として育つ。   成人してからも神々を好きな思いが高じて各地の神社を数多く参るなか、縁をいただいて神籬磐座祭祀を司る古神道系特別上級神職資格を平成三十年に取得するに至る。   20年以上連れ添う妻と一人息子を大切にし、旅をこよなく愛する。 曲がったことを「どうなの?」と思う気性も含めてさすらいの英雄スサノヲノミコトの影響かな、たぶん笑。 生まれ故郷の出雲はもちろん、白山や伊勢等の魂の聖地に強く心魅かれる。 また、20代に現地で働いてもいた沖縄も大好きな第2第3の故郷。
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