今回の御神酒 國靈(くにたま)の物語のはじまりとなった、ある神山での祭祀。
祭がその日になったのは、子供の七五三で伊㔟に行くことになったという、たまたまの日付でした。
その後、満月の満潮に常世の神を迎えたといえ太古の祭の存在を知り、ん?と思って伊㔟の地に行く日を調べると、ああ満月だ…と(笑)
そういう訳で(笑)、この祭祀を行ったのでした。
ところが、祭がこの日に「決められていた」のは、もっともっと前に遡るようです。
この常世の神を迎えた祭では、御神酒 國靈(くにたま)にとってとても重要なものが、初めてのお役を果たしました。
御神酒のラベルの題字『國靈』を書く、墨です。
この祭では、その墨を初めて磨(す)って和歌を詠みました。
それが阿波忌部の『藍墨』
忌部とは、当事者達が図ると図らざるとに関わらず、須佐之男命の型をもって生きてきた歴史をもつ氏族です。
天皇即位の儀式『践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)』。
その中の、太古より神の依り代とされてきた大麻(おおあさ)を素材として、天御中主神(國常立太神)や天照太御神という日本の神と天皇が一体となるために用いられるとされる清浄極まる衣、それを『麁服(あらたえ)』と言います。
その麁服をその素材である大麻の栽培から織り上げるところまでを務めるのが、阿波忌部の直系のお役です。
姉神の天照太御神を、こうやって陰から支えてきました。
その阿波忌部がその大麻とともに大切にされて来たのが、「藍」です。
藍には、「護る」力と「癒す」力があり、昔、天皇が用いられる墨には、藍が入れられていたそうです。
その阿波徳島の地で、藍を栽培から数々の製品に仕上げて販売までされている唯一の会社、「藍色工房」。
その坂東未來社長が、須佐之男命の本拠地であり忌部の象徴のひとつである、出雲大社のかつての柱に見たてて、それと同じく、三本の藍墨を一本に束ねて造られた『藍墨』。
ご自身の藍と、日本で最後の職人が居なくなってしまった「にかわ」で練られた、大変貴重なもの。
Facebookではやりとりはあったものの、名古屋にお越しとのことで熱田神宮で初めてお会いした日のことです。出雲大社の遷御に合わせて我が故郷大社に帰っての滞在を終え、岡崎に戻って数日後のことでした。
そんな初対面の僕に、
『大社の九本柱に見たててたった九本だけ造り、非売品として大切なご縁の方に手渡すことにしました。
これはその、第一号です。』
と手渡されたのでした。
第一号とは、何と光栄ものをいただいたのかと、勝手ながら出雲大社の最も大切な一本『心御柱(しんのみはしら)』を託していただいたのだと受け取り、大切な場面で使うことに決めました。
さらに不思議なことに、その日の朝、そんな墨がいただけるなど思い浮かぶはずもないのに、なぜか地元の天満宮で『御神筆』を頒けていただいていたのです。
同じ日に、御神筆に合わせて貴重な御神墨まで手元にやってきたのです。
そして坂東さんには、こう言われていました。
『墨が使いごろになる半年後から使って下さい』
常世の神を迎えた祭を行ったのは、その日からピッタリ半年後のことでした。
はじまりの日は、ずうっと前に決まっていたのかも知れません。
ならば、御神酒 國靈(くにたま)の題字は、この御神藍墨で入れるしかないだろうと思うのです。