なんだか今朝は、貞観地震のことが気になってずっと調べてました。
貞観地震は、平安時代に起きた大地震。
今回の東日本大震災は、これ以来の千年級の地震とよく言われます。
僕の祖先、源融公とその地震、ひいては僕自身もつながりがあるんじゃないかな、みたいに思って。
すると、また出るわ出るわ。
ほんとはもうちょっと寝ようかな~なんて思ってたのに、いつもこうで最近寝不足です(笑)
まずは、起きた日にち。
貞観11年5月26日!(◎_◎;)
5月26日って、僕の誕生日なんですけど…。
震源は、今回の地震とほぼ同じのようです。
つまり、同じように多賀城、塩竈(日本三景の松島)のあたりを津波が襲ったみたい。
当時、多賀城には国府が置かれ、融公は、その年の1月まで赴任していた…。
実際は行っていないという説もありますが、融公がみちのくを詠んだ歌がいくつもあったり、京に塩竈を模した広大な庭園を造ったことを考えると、全く行っていないということは、考えにくいです。
任を解かれてすぐの5月に、大地震で壊滅。
今と違って、遠く離れた京で被災地の状況を詳しく把握できたのは中央政府要人くらいだったでしょう。
中納言だった融公は、その数少ない一人。しかもゆかりある地。
数々の日本文化の美的センスに影響を与えた文化サロンであり、初の日本庭園かつ、日本初のテーマパークでもあった京の塩釜。
そこには、日本の復興への想いがあったのではないでしょうか。
だって、今の日本の人たちが感じてるこの想いを、同じ地震を経験したご先祖さまたちが思わない訳ないと思うんです。
あり得ない贅沢をして、あの庭を造ったように言われますが、ほんとは違う気がしてきました。
日本を、その根っこから復興しようとした。
ちなみに、今回もっと違う角度から、色々なことが分かりましたが、この辺はいま出すには早い気がします。
じっくり醸して、機が熟すのを待つのがいいんじゃないかな。
そうすれば、黴(かみ)がいいモノを造ってくれそうな気がしますd(^_^o)