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きょうは、仕事の上での教育の話題が出たので

きょうは、仕事の上での教育の話題が出たので僕のエピソードを。

僕、教育って好きなんですよね。

だからって得意かといえばそんなことなくて。

でも、やっぱり好きなんです(笑)

ひとが自力で「立つ」ようになるプロセスを見れるのは、なんと愉しいことか、っていつも思います。

そのひとの、内なる素敵なものをもっと輝かせて、世の中を照らしてほしい!って思います。

今の仕事も、いままでやってきたさまざまな事も、その一点の「肚」にたどり着く気がしています。

今から約10年前、26歳のときに、理想の教育というのを求めて沖縄に旅立ったことがあります。

そこは、株式会社の学校でした。

公立でも、私立の学校法人でも、ない「学校」。

生徒の年齢は、下は5、6歳から上は27歳まで150名近く在籍していました。

テーマはただ一つ、「コミュニケーション」

ただのコミュニケーションではありません。

「自分を大切だと思うから、同じように相手も大切に思える。おもんぱかる事ができる。そういう魂のやりとり」のことを、その学校の創設者であり、我が沖縄の師はコミュニケーションと呼んでいました。

実はこの師、かなりの有名人で、一時期芸能界を席巻した沖縄出身歌手の生みの親、沖縄アクターズスクールの会長なのです。

師は、実はある「失敗」から、もうひとつの「学校」を創ることを決意したのでした。

あるときスクールの卒業生で、売れていった歌手が某有名歌番組に出演したときのこと。番組がスクールを取材していると、VTRの中で後輩が必死でおどっていました。そりゃそうです。憧れの先輩に観てもらえるんですから。

ところがです。

その先輩は、その様子を見て、

「キモい!」

とコメントしたのです・・・。

その時師は思ったそうです。

「俺は、売れる人間を育てる事は出来たけど、相手のこころをわかることが出来ない、中身のない人間を育ててしまった・・・」

と。

その反省から出来たのが、その学校でした。

僕がその学校の存在を知ったのは、ちょうど10年前。

結婚する半年くらい前のことでした。

そして、結婚式を沖縄で挙げた次の日、その学校に出向き、そこで起きているクラス(授業)に心打たれ、思わず涙し、働くことを決意するのです。

しかしその条件は、三ヶ月給料無し。

しかも三ヶ月が過ぎたとき、生徒から要らないといわれれば去る。というものでした。

つづく

ABOUT ME
代表おおくに
神話の故郷出雲大社から歩いてすぐの杵築の地、母の実家で生を享け、出雲大社を遊び場として育つ。   成人してからも神々を好きな思いが高じて各地の神社を数多く参るなか、縁をいただいて神籬磐座祭祀を司る古神道系特別上級神職資格を平成三十年に取得するに至る。   20年以上連れ添う妻と一人息子を大切にし、旅をこよなく愛する。 曲がったことを「どうなの?」と思う気性も含めてさすらいの英雄スサノヲノミコトの影響かな、たぶん笑。 生まれ故郷の出雲はもちろん、白山や伊勢等の魂の聖地に強く心魅かれる。 また、20代に現地で働いてもいた沖縄も大好きな第2第3の故郷。